Monochrome and Colorful days

無彩色で極彩色な日常あれこれ

アドバイスの仕方について思う - ベストを尽くせるのなら尽くした方がいいと思うんだ 

1ヶ月くらい昔に書きかけていたらしい日記を発見.
研究発表などのアドバイスで思ったことを書いてみる.


少し前に研究所の部署で検証会があり,自分はそこで初めてのプレゼンを行った.
その時に先輩からもらったアドバイス.
「背筋を伸ばして,声ははっきり大きく,堂々と」
「『検証側は馬鹿だから俺がしっかり教えて理解させてやる』ってくらいの気合で」
「失敗しても死ぬわけじゃないから気楽に.だけど誠実に」


そんなアドバイスを貰って検証会でプレゼンを行ったわけですが.
大勢の前で普通に喋るのが久々すぎて既に難しかった.
が,とりあえず先輩の言葉を思い出し堂々と喋り,色々紛糾したもののまぁ無事に終了しました.
先輩からのアドバイスは素直に有用なもので有り難くって,アドバイスってすげーと思ったんですが.
そのタイミングで,大学院時代の頃のことを思い出した.
初めて国際会議に出る後輩に,先輩がアドバイスしていた言葉.
「国際会議なんざたいしたことない.楽勝だから,準備とか適当でいいよ」
あろうことかそれ?!なんだそりゃアドバイスじゃねぇよ,と.
まぁ,その先輩ってのは若かりし頃の自分なんですが.


今になってようやくわかった.
そいつが発表で失敗した場合の責任を取れない立場で,安易なアドバイスをするもんじゃない.
そいつの健闘を祈るものならばともかく,無駄に油断させるアドバイスなんざ必要なかったね.


社会人になって学んだことは,人に対して誠実であることだ.当たり前だけどさ.


自分にとって,国際会議は,終わってみたらそんなに緊張するもんでもなかった.
英語ってだけで,あとは普段の発表と同じようなもん.
だけどさ,そういう経験則に則った力加減とか,リラックスしていいとかってのは,経験して掴み取るもんだよなぁ.
安易に,国際会議なんてたいしたことないよってのは,違うと思う.思った.


うまくいえないんだけれども,やっぱり最初は入念に準備してベストを尽くすべき.
失敗しても,なぜベストを尽くさなかったのかってベクトルで悔やまなくて済むように.
うまくいったら,今後もう少しタスクの比重を軽くすることができるって学習要素として.
適当でいいってのは,だめだ.よくない.
少なくともそれを言っていいのは,そいつの失敗に対して責任を取れる立場にある人間だけだ.
自分の仕事場の先輩のように.(だからこそ,実になるアドバイスをくれるんだと思うが)
そうでないならば,力みすぎて逆に失敗するんじゃないかって場合以外においては,言う言葉ではない.
言うにしても,自分の経験としては〜と但し書き付きで語るべきだ.
それが,相手に対して誠実であり,意味のあるアドバイスであると思う.


なんというか,アドバイスって奥深いね.相手に対して誠実であろうという心がないと無駄だ.
そして年齢を重ねて,社会に出てわかることって細々と色々あるんだと改めて思ったよ.
他人に対して,誠実な人間であろう...



Link: http://university.chase-dream.com/edu_univ/advice_JpnConf.html
   (京都大学の中の人:学会発表に関するアドバイス.結構たしかに!と思う)
   http://nanko-kazuki.main.jp/topics/tips_presen.php
   (筑波大の人の研究メモ.学会発表のコツだが,普段のプレゼンでも参考になりそうだ)

   
今回,アドバイスについて調べてみて,意外にネット上で適当なアドバイスが多いことに気付いた.
ネットの中の人からのアドバイスは有益な場合もあると思うが外れても誰も責任を負わない,それを判断するのは個人だよな.
アドバイスを信じる側も,個人にも責任はあると意識する必要はあるのかもしれない.
これから卒論,修論発表の時期になると思いますが,発表する人達がんばってください.